愚者はのらくら月へゆく

久間健裕の日々のあれこれ

泥のように苦い。

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用事で出掛けた先の喫茶店で、珈琲を一杯頼んだ。

そこは都心でありながら未だに全席喫煙可という、時代に逆行するアウトロー茶店だったが、返ってその雰囲気に見せられて入店した。

出てきた珈琲をひと口。苦い。驚くほど苦い。

珈琲は苦いもの、という認識は勿論ある。が、それはその範疇を超えていた。苦い。普段飲んでる珈琲の苦さの5倍は苦い。一滴で顔を顰めてしまう。二口目を躊躇してしまうその苦々しさ、まるで泥だ。

ほろ苦いを遥かに飛び越えて、どろ苦い。

間違えて濃い目のエスプレッソ頼んじゃったかなって勘違いしちゃうぐらいどろ苦い。先ほどから「コーヒー」ではなく「珈琲」と書いているのも、そのどろ苦さを文字にして表すときに、カタカナよりも漢字の方がしっくりくるからだ。

しかし、喫茶店入るや否や珈琲を頼むような客として認識されている以上、流石に残すわけにはいかない。かといって、水で薄めたりするような飲み方は行儀が悪い。こんな事なら見栄張って珈琲ブラックでなんて頼むんじゃなかった。砂糖とミルクをつけて貰うべきだった。そもそも、ソーダ水とかにしとけば良かった。後悔はいつだって後ろで僕をせせら笑っている。

決心して、二口目を飲む。やっぱり苦い。三口目。えぐ苦い。地獄の責め苦だ。

しかし、四口目あたりからだいぶ苦いという感覚は薄れてきた。恐るべし、人間の適応能力。

飲んでいる内に、まるでこれは人生のようだなと思い始めてきた。人生は珈琲よりも苦い。苦い思いをしてでも、必死で食らい付いて生きていかなければ報われる事もないのだ。泥水を啜って生きている、とたまに自虐的に言ったりするのだが、これはまさしくそれじゃないか。

最後の方は香りを楽しめるぐらいには麻痺していた。飲み慣れてないから苦く感じただけだったんだろうという事には見て見ぬふりをした。残りをぐっと飲み干し、何食わぬ顔でお会計を済ませて、店を後にした。

外は雨だった。泥水を避けて帰路についた。