愚者はのらくら月へゆく

久間健裕の日々のあれこれ

特に映えることもない生活の先に。

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ここ数日の生活は、これと言って特筆するような事柄もないまま、記憶の彼方に過ぎ去っていった。

あまりにも冴えない生活を送っている。いや、映えない生活を送っている。 

気晴らしにと外に出てみたが、特にすることもない。

ふらふらと近所を彷徨い歩き、そこで見つけたのが上の写真である。

とある喫茶店のサンプルだが、非常に冴えない。いや、映えない。

シンプルパンケーキの上には、真四角にも程があるバター。そして空っぽのコーヒーカップ

なんとも物悲しい、哀愁フェチにはたまらない光景であるが、一般的にはなんとも残念な光景だろう。

まず、このサンプルを置いている店に入ろうと思うか。

常連さんや僕みたいな奇特な人間以外は、ちょっとためらうだろう。

サンプルが映えていれば、実物もきっと映えるような商品が出てくるだろうと期待を持って店に入る事が出来る。

しかし、これでは出てくる商品もたかが知れていると思われてもしょうがない。

バターがとろっと溶けた美味しそうなパンケーキのサンプルもあるだろうし、コーヒーや紅茶の入ったカップのサンプルもきっとある。合羽橋とかに確実に売ってる。

これは確実に店側の手抜きだ。新規顧客を得ようという努力が足りていない証拠である。

 

ここまで書いてハッとした。

そうだ。映えるためには、努力しなければいけないのだ。

映えている人たちは皆、映えるために日々努力している。

身嗜みを整えたり、美味しいご飯をつくったり食べたり、素敵な場所に足を運んだりして、映えない部分は徹底的に隠し、アプリやらなんやらでごまかして、そうやって日々を能動的に映えさせているのである。

そう思うと、自分はどうだ。映える努力をしてきたか?

映えない事を環境のせいにして、自分を映えさせる努力をしてこなかったのではないか。

反省した。私もあの喫茶店と一緒だった。

映えさせる努力をしよう。そう心に誓ったのであった。

 

因みに実物のパンケーキとコーヒーは、サンプルに見合った素朴な味だった。それはそれで悪くない。