愚者はのらくら月へゆく

久間健裕の日々のあれこれ

プールに行きたいのはドルチェ&ガッパーナの香水じゃなくてバイト先の塩素系漂白剤のせい。

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なんでもかんでもドルチェ&ガッパーナの香水のせいにしてしまえば片が付く世の中になるとは、誰が予測していただろう。なんとも便利な世の中になったものである。

ただ僕が今、無性にプールに行きたいと思っているのはたぶん香水のせいではない。このうだるほど暑い季節のせいでもあるけれど、それよりも間違いなく、バイト先のまな板を漂白するために使っている塩素系漂白剤のせいだろう。

あの漂白剤を使うたびに、浸けたまな板を触って手がぬるぬるになるたびに、そしてそこからツーンと漂う塩素の香りを嗅ぐたびに、僕は中学生時代の青春を捧げたあの水泳部のプールを思い出すのだ。

前言撤回。青春を捧げたというのはちょっと嘘だ。
そこまで言えるほど熱意を込めて水泳をやっていたかと詰問されたら、数分もしないうちに申し訳ありませんでしたとゲロってしまうだろう。水泳部に入ったのは、保育園の頃から習い事でスイミングに通っていたからって事と、ただ単に陸上で運動するのが苦手なタイプだったってだけである。冬場はプールが使えないために筋トレと走り込みが中心だと聞いた時は、本気で辞めるかどうか迷ったほどだ。

そんな生臭部員であった僕だが、それでも僕の青春の一部が塩素と共にあったことだけは間違いない。上記したように、保育園の頃からスイミングでプールに入っていたし、小学校時代の夏休みは学童でほぼ毎日のようにプールに行っていた。そして中学は水泳部で固形の塩素をプールに投げ込んでいたのだ。義務教育のほぼ半分を塩素にまみれて過ごしていたといっても過言ではない。その証拠に、中学の卒業アルバムに写っている僕は髪の毛の色素が抜けて茶髪っぽくなっている。

義務教育も終え、そこからはプールに行くこともめっきり無くなってしまった訳だけれども、それでも、あの塩素の匂いだけは、あの夏の光景を鮮明に思い出させてくれる。

更衣室で着替え、階段を上って二階の屋外プールに向かう。プール脇のシャワーは夏だろうと極寒で、火照った身体を強制的に冷やしてくれる。プールサイドにほったらかしにされたホースからは、照りつける日差しでじっくりと熱せられた水、即ち、熱湯が飛び出してくる。それが冷水に変わる瞬間がたまらなく気持ちいい。水を張ったばかりのプールは、25m先の壁まで見通せるほどに透き通っていて、差し込んだ太陽光が水底をユラユラと照らしている。そんな水底に落ちているどでかいジューCのような固形物、それが塩素。本来は浮きのようなものに入れて溶かすのだが、そのまま投入することもざらにあった。塩素を踏みつけて滑ったり、拾って同級生に投げつけたり、今思えばいろいろ危険と隣り合わせな行為も普通にやっていた。水分補給はお馴染み粉ポカリ水ちょい濃いめ。朝から3〜4時間泳いで、昼過ぎに終わり、帰り道にアイスを咥えながら帰る。そんな毎日。

こんな記憶があの時の映像と共にぶわっと頭の中に蘇ってくる。匂いと言うのは下手したら、視覚以上に強烈に記憶に結びついているものかもしれない。

今年は厳しいかもしれないが、来年は久々にプールに行くのもいいかもしれない。