愚者はのらくら月へゆく

久間健裕の日々のあれこれ

映画『小さな恋のメロディ』を見た。

2024年一本目の鑑賞記録は、BLANKEY JET CITY筋肉少女帯など、名だたるアーティストが影響を受け、同名のタイトルで楽曲までつくってしまった名作。

小さな恋のメロディ』1971年

幸福になりたいだけなのに、なぜいけないの?
あらすじ

ロンドンの公立学校。生徒たちの将来を思案し厳しく指導する先生たちと、遊びや恋愛など今を謳歌しようとする子供たちの間には対立が生まれていた。引っ込み思案で大人しい少年・ダニーもその内の一人。過保護な母親に丁寧に育てられてきた彼には友達がいなかったが、学校で悪童グループのリーダー的存在であるオーンショーと仲良くなり、そのグループに入れてもらう。ある時、ダニーは同じ学校に通うメロディという少女に一目惚れする。二人は徐々に惹かれ合っていき、結婚の約束をするまでの仲になる。ふたりは授業をサボって遊園地やビーチにデートに出かけるが、その事がバレて学校長に咎められ、クラスメイトにもその関係が知られてしまう。メロディは両親にダニーと結婚する事を報告するが、子供にはまだ早いと説き伏せられてしまい、ここにいても幸せにはなれないと思ったふたりは、クラスメイトを巻き込んで駆け落ち結婚をする。

感想

先に断っておくと、自分はこの映画に対してかなりのバイアスがかかっていた。というのも、先述したBLANKEY JET CITY筋肉少女帯の楽曲でこの映画のタイトルが引用されていて、その楽曲のイメージ=映画の雰囲気として固まってしまっていたのだ。

BLANKEY JET CITY浅井健一はこう歌った。

小さな恋のメロディという映画を見たことがないなら早く見たほうがいいぜ」

「行くあてはないけど ここにはいたくない 幸せになるのさ 誰も知らない 知らないやりかたで」

筋肉少女帯大槻ケンヂはこう歌った。

「ねぇ 二人はさぁ トロッコに乗って 逃げてくの ラストシーン」

「あのふたりが どこへ行ったか あなたわかる? きっと地獄なんだわ」

こんな感じの曲なもんだから、映画はこれに輪をかけてペシミスティックで、多分ロミジュリ的な映画なのだろうと思っていた。

なので見た時には驚いた。めっちゃコメディじゃん!

随所に挟み込まれたビー・ジーズの挿入歌のお陰もあるが、映画の印象は明るく、終盤の展開は完全にスラップスティック・コメディで、ラストはモンティ・パイソン味を感じた。さすがイギリス。

とはいいつつも、大筋は少年少女の葛藤を描いたピュアなラブストーリーであり、浅井健一のいう通り、確かにこれは早く見たほうがいい映画だ。早くというのは年齢的な意味で、触れる年齢や時期で受け取り方や感じ方がガラリと変わる映画だなと思った。

これを10代の悶々とした時期に見ていたら、間違いなくダニーやメロディに感情移入をしていたであろう。なかなか告白が出来ない奥手なダニーにヤキモキしただろうし、初々しい遊園地デートには憧れただろうし、彼らの恋路の邪魔をする大人たちに辟易し、ラストシーンで二人だけの幸福になれる場所を目指してトロッコを漕ぎ出す姿に感動し、描かれない2人の末路を想像して涙を流していたかもしれない。

しかし大人の立場になってから見てみると、悲しいかな大人たちにも平等に感情移入してしまい、受ける印象もちょっと変わってくる。そもそも、この映画に出てくる大人たちにはみるからに悪人らしい人物がいない。先生も親も、厳しかったり過保護だったりと思春期の少年少女たちの自由を邪魔する障壁になってはいるが、決して露悪的ではない、極めてリアルな大人像が描かれている。人生の悲喜交々を知ってしまい、もう純粋ではいられない者の象徴として「大人」が描かれている。だからこそ一番グッときたのは、メロディがダニーとの結婚を認めて欲しいと両親に訴えるシーンで、今まで口煩かった母親と祖母が口篭ってしまう部分だった。二人ともメロディの気持ちは痛いほど分かるが、でも現実社会はそこまで甘くない。肯定も否定も出来ないあの表情のカットはとても良かった。

この映画は自分の純粋無垢な精神の割合をはかるバロメーターとしても機能しそうだ。二人の恋愛に対して「ケッ!チミたちはなんにも分かっとらんな」となってしまったら、心が荒んでいる証拠かもしれない。

この映画は日本では大ヒットしたものの、本国イギリスやアメリカでは不評だったらしい。確かに映画としてはストーリーに起伏が少なく、ドラマティックな展開があるわけでもない。一言で言えば”地味”。異国情緒あふれる映像と幼く可愛らしい少年少女のプラトニックなラブストーリーという、日本人好みの要素がヒットした要因なのではないかと思う。