愚者はのらくら月へゆく

久間健裕の日々のあれこれ

あの開会式と小林賢太郎について。

オリンピック開会式を巡る一連の騒動が、今もあらゆる方面で物議を醸している。

その内容についてはSNSを通して拡散・炎上、ニュースでも散々取り上げられているので今更書く必要もないと思っているが、やはり小林賢太郎の件については自分の中でまとめておく必要があると思ったので、ここに書き記しておきたい。

まず前提として、私はラーメンズのファンであり、小林さんのファンである。その点を踏まえた上で読み進めて欲しい。

 

こ本人からの謝罪文が出ているので取り沙汰するのも野暮な話なのだが、ラーメンズとして過去に披露したコントでホロコーストを揶揄していたという、今回の解任に繋がった火種の一件について。

SNSでは「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の部分だけが切り取られてしまったのだが、実際のコントは教育番組『できるかな』のパロディであり、ノッポさんゴン太くんに扮したふたりが番組の企画を考える中で、過激な案を出してプロデューサーから「放送できるか!」と怒られた、という会話の中のセリフである。

実際の映像を見れば分かるのだが、ここで揶揄されているのはむしろ教育番組という定義化されたフォーマットであり、あの台詞も子供向け番組の企画には相応しくない提案をしてボツにされた、というボケの一つであった。

もちろん内容は間違いなく不謹慎であるし、本人も「浅はかに人の気を引こうとしていた」「当時の自分の愚かなことば選び」と明言しているように、知識を必要とするブラックな笑いはコアな層の印象に残りやすいだろうという安直な考えがあったのかもしれない。その件に関しては謝罪文の通り、意識の問題であるとは思う。(ブラックジョーク全般を悪とする風潮には賛同しかねる)

ただ、前後の文脈を知りもせずにコントのひと台詞だけを粒立てて「コイツは差別主義者だ!」と断定してしまう方がよっぽど恐ろしい事ではないだろうか。それがまかり通るなら、いじめ描写がある作品のいじめっ子の台詞だけを切り取って「この作家はいじめを肯定している!」と糾弾することも出来てしまうし、テロ行為が描かれた作品の作者はテロリスト予備軍になってしまう。本人が公的な場で発言したものならともかく、創作物と本人の思想は切り離して考えるべきだと思う。

ここで断りを入れるが、僕は今回の解任は致し方ないと思っている。というか、そもそも出来ればオリンピックに関わらないで欲しかった。日本の現状、風潮からして何かしらで叩かれることは目に見えていた。断りきれない事情があったのだろうけど、結果このような形で槍玉に挙げられてしまったというのは本当に残念である。

当の開会式には、そこかしこに彼の名残があると悲喜交々の盛り上がりを見せていた。利権まみれでつぎはぎだらけのプログラムとはいえ、彼なりに真摯に取り組んだ結果であろう。ピクトグラムの人力パフォーマンスなど、真っ当に評価されるべき部分もあったと思う。評価がどうあれ、プロとしての仕事は果たしていたのだろう。

しかし、僕はあれを小林賢太郎の仕事とは呼びたくないのも本音だ。

彼は常に、自分のやりたい事を自由に創作出来る場所を探し求めていた。他者の介入を出来る限り拒み、テレビを主戦場にするのを諦め、舞台をメインに活動し、そこで揺るぎない地位を得た。テレビに戻ったのは自分の好きなように作れる環境を得てからだ。近年は彼も大人になり、他人の意見を聞くようになったというが、それでも曲げない部分は確実にあっただろう。パフォーマーを引退した理由も「足が悪く、思うようなパフォーマンスを行えないから」と、あくまでも作品を第一に考える姿勢からだった。

あのパフォーマンスには、要所要所にねじ込まれるぐらいの中途半端な意図しかなかった。そうではない、観るものを置いてきぼりにするほどの圧倒的なエゴイズムこそが彼の持ち味であったと思うし、少なくとも僕はそれを望んでいた。

本人に届かぬ事を承知で好き勝手に言わせて貰うが、僕はあのナルシストでエゴイストでロマンチストな虫の創る《コント》が好きなのだ。。今回の件で受けた傷はどうかゆっくりと癒して欲しい。そして、また舞台に戻ってきて欲しいと思う。

 

 

余談として。

開会式のパフォーマンスに因んで、キャストとしても出演していた久ヶ沢徹さんが『TAKE OFF〜ライト三兄弟〜』をお薦めしていた。もちろんそちらも傑作ではあるが、僕個人としては今回の騒動を踏まえた上で『ロールシャッハ』を観て欲しい。コメディでありながら色々と考えさせられる作品なので。

小林賢太郎演劇作品『ロールシャッハ』 - YouTube